銀の砂
            02年7月7日 京都新聞
                
越水利江子


 今宵は七夕。
 晴れてくれればよいが、晴れたとしても、都会では天の川が見えにくくなった。
昔なら京の中心でも、天の川はくっきり見えた。といっても、天の川を見た記憶は、七夕よりずっと後の盛夏や晩夏の夜半である。
 一方、織女星と牽牛星は晩夏の夕暮に南中する。
では、実際に天の川と二つの星を同時に、七夕の夜に見たのかといえば、定かではない。
だが、それはおこう。
ともあれ、こどもの頃、色とりどりの笹かざりの下で、私は星を眺めていた。
 二つの星がいつ天の川を渡って出会うのか、ドキドキして。
今となっては笑い話だが、七夕には星が動くと信じていたのだ。
だが、織女星と牽牛星におぼしき二つの星は一向に動かず、白く青く輝いているばかり。
 その時、隣家のおばあさんが声をかけてきた。
「りえちゃん。七夕さんにお願いごとをしたんか?」と。
 頷くと、おばあさんがいった。
「お願いごとはな、ながい時間のうちに、いつのまにか叶うもんえ。すぐやないけど、きっと叶うから、もう寝よし」
 夜更かしのこどもを心配したのかも知れない。
それでも、私は強情に諦めなかった。
だが、暗い空ににじんだように輝く天の川をじっと見つめていると、だんだん空が迫ってくる。
頭はくらくらして、瞼は重くなった。
それでも、目をはなさずいると、ふいに、天上から、銀の砂が降り落ちてくるのが見えた。
ちょうど、織女星のそばだった。
「あ、星がうごいた!」
 私は叫んだが、おばあさんはもういなかった。
 あれは流れ星だったのか、目の錯覚だったのか。
 どちらにしても、あの時の私は、なにかいい運命が降ってきたように思った。
だが、天上から降ってきた銀の砂はあの言葉だったのではないだろうか。
「願いごとはながい時間のうちにいつのまにか叶う」といったおばあさんの一言。
 なぜなら、半生を生きてようやく、私はあの時の願いをかなえたからだ。
「幸せになれますように」と書いた短冊の願い。
 その幸せがなにか、今の私にはよくわかる。
 幸せとは、好きな人の幸せを微笑ましく眺めること。
幸せは好きな人のそばにあって、自分に張り付いているのではない。
 たったそれだけに、今ごろ気づいた。
対岸の恋人を見つめ続ける織女星。
彼女は、きっと幸せなのだろう。

 (童話作家)