こころを染める物語の色

        児童文学作家 越水利江子


 今ここで「青空」といったら、あなたはどんな青を思い浮かべますか。あるいは、何色とも呼べない色「蛍の色」とか「水の色」とかならどうでしょう。
 誰もが見たことのある色や形。でも、あなたの心に浮かんだ色は、私が思い描いている色と微妙に違うはず。なぜなら、それは遠い日に見た色の記憶か、過去に見たはずの色が身内で変化し、もっと鮮やかな深い色となって心に染みついた色だから。
 その色には現実ではもう会えません。しかし、優れた詩や文学には、私たちの心深くに秘めた色、匂い、肌触りが存在します。
共に故人となられましたが
『砂の女』 (安部公房)の肌触り、『薄墨の桜』 (宇野千代)の花の色などは、実際に見たり触ったりするより強烈な印象を残します。
この千代さんが生前「むかし童話が文学だった頃・・・」という発言をなさったことがあります。現代の子どもの本を憂えての発言でしたが、これは大きな誤解です。
次の一文を見てください。

 町のはずれに、日の出地区がある。ここらは水田地帯で、初夏になると蛍が舞った。
 「ほ、ほ、ほおたるこい」と歌いながら、人々は田をめぐる。
 ゆかたを着た小さなこどもたちが親に連れられてやってきていた。田の中から、あぜの草むらから、蛍がゆらゆらとうきあがってきた。虫かごに蛍を入れている子もいる。
 ぼくらは下着のシャツになる。草むらの蛍をつかまえてシャツに入れると、腹のあたりがめかめか光った。
 「蛍人間ぜよ」と、腹を光らせて、あぜを走った。ふざけて恵子の髪にとまらせると、うっすらとひたいのあたりが見えた。丸い、かたちのいいおでこだった。
 
『光っちょるぜよ!ぼくら』横山充男著 (文研出版)より
      
 どうですか。蛍の色は見えましたか。腹のあたりをめかめか光らせて駆けぬける少年の日向くさい汗の匂いがしたでしょうか。
髪に蛍を飾られた少女の息づかいは聞こえましたか。
蛍を描いた文学には、有名な
『蛍川』 (宮本輝)がありますが、この蛍はクライマックススで出現し、読者を圧倒します。
一方、ご紹介した一文は、まだ幼い少年少女の生活の中のワンシーンにすぎません。
物語のクライマックスでもありません。
 けれど私は、これを読んだとき、心がふるえました。
少女の頃、ひそかに心惹かれた男の子がふいに近づいて来たときの感覚が蘇ったからです。
それが悪戯でも、髪や体に触れられたときの戸惑い、喜び、気恥ずかしさ。
頬が熱くほてって、額がじっとりと汗ばむようだった一瞬を、私は追体験していました。
 優れた物語とはそういう力を持っています。
 最近のベストセラーの児童文学には「9歳から108歳まで」と銘打たれていましたが、もともと児童文学の読者層は幅広いのです。
 それは児童文学が、子どもだけでなく人間を描いているからです。人間を描かないクレヨン色の童話は文学とは呼べません。
真実の色彩は光と陰影があるのです。
その点では成人文学も児童文学も同様なのです。
「千代さん。今も童話は文学ですよ」
と、私は天路に向かって、こっそり囁いています。


        カラー&カラリスト創刊号掲載