神楽囃子(かぐらばやし)
 
01/12/16 京都新聞



 
神楽の季節である。
 広島の美土里町では、現代的にアレンジされた神楽グランプリが催され、歌舞伎のようなきらびやかな衣装をまとった神楽団が飛んだり跳ねたり、大立ち回りで観客を沸かせた。
町中の人口が集まったかのような神楽ドームは熱気と声援で割れんばかり。
ロックよりスポーツより、ここでは民俗文化の神楽が子ども人気も高いのは、なんとも嬉しい。
 とはいえ、神楽とは、もともと神に奉納される舞楽である。
その最も伝統的な神楽が見たくて、はるばる宮崎県椎葉村へ行ってきた。
 平家落人の末裔の住まう山峡の里。
この地の神楽は重要無形民族文化財に指定されている。
広島美土里町の神楽がニュー神楽とすると、椎葉神楽は何百年前の原型を脈々と伝えるいわば古典神楽。
中でも貴重とされる嶽之枝尾神楽は、能狂言に似た舞や寸劇を取り込んだ採物神楽(御幣や弓矢、剣などを手に舞う出雲系神楽)である。
 さて当日。
村人は神楽宿(山の頂の神社)に寄り合い、約18時間居続けで舞う。
この夜神楽の祝子(舞い手)は男のみ。
これをたった24戸の祖父、父、息子が支えている。
この夜ばかりは、女たちは喜んで炊き出し酒を配り、宴たけなわになれば、神楽を盛り上げるせり唄をいい喉で聞かせる。
 このせり唄が始まると、笛太鼓の神楽囃子も、白無垢白袴の厳粛な男たちの舞も、なにやら華やいでくる。
 なにせ、せり唄は色っぽい。

「わしとあなたは蜜柑のつぎ木。今年ならねど末はなる」

「かごの鳥でも知恵ある鳥は人目しのんで逢いにくる」

「思ちゃおれどもまだ言うちゃみらぬ。逢うて一度は言うてみたい」

 これを艶っぽい若妻と渋い喉の姑がせり歌い、それぞれ女たちが唱和する。
神楽舞とせり唄は響き合い、まるで古代の歌垣の場にでも迷い込んだかのようである。
さすが平家落人の村。
鄙にはまれな品の良い公家顔の男や、凛々しい武人顔の男もいる。
 それらが舞いながら女たちを見る流し目には、素朴で武骨な色気が漂う。
都会の若者がどこぞに置き忘れてきた、日本の男の秘めやかな美しさである。
 ここ数年、神楽は学究や取材、公演依頼の客で賑わう。
村はそれらを下へもおかず歓待してくれる。
だが、私も含め来客は心せねばならない。
家業の傍ら、代々神楽を継承してきた人々のたゆみない人生の日々。
その暮らしにこそ、深い感謝と敬意を忘れてはならない。
               (童話作家)