わが     
             
02・3・24京都新聞掲載
             
 越水利江子


桜が咲き始めた。
 その桜前線の情報にまず県名が挙がるのが、わが故郷の南国高知。
それでか、桜が咲き出すと落ち着かない。やれ花見だ、やれ酒だという気分になる。
 ところが、この春は浮ついておれぬ気分になった。というのは、同郷の作家で、四万十川シリーズ『少年たちの夏』(ポプラ社)等で売れに売れている横山充男さんから痛い話を聞いたからだ。
 少年時代の横山さんは、清冽な四万十川と土佐の荒海に洗われて育った。
その横山さんが、高知でも山深い里、西土佐村で講演をされた。
それによると、過疎地の子どもの読書環境は劣悪らしい(全国調査でも市区の公共図書館の設置率は97%で町村は40%に満たない)。
西土佐村は税収が足りず隣接する中村市と合併を模索中。
予算が少ないから、学校図書館の蔵書もごくわずか。むろん村には都会のような書店はない。
「これは、子どもが当然受けるべき権利の剥奪ではないでしょうか」と、横山さんはおっしゃった。
効率と金儲けばかりに走った日本という国は、赤字路線といって過疎の足を奪い、大量消費といって地域の商店街を潰してきた。
開発あるいは治水といって川や海を人々から遠ざけ、そして、空想力を養う最後の砦、読書の権利さえ、子どもたちから奪い続けている。
 この国は危ない。子どもの魂を育てない国はやがて滅びる。
 子どもは給食だけでは育たない。
心にこそ良質の栄養が必要なのだ。どの栄養が自分の心に染み透ってくるのか、沢山の中から選び取る権利が子どもにはある。
そして、心の栄養は出会いがなければ吸収できない。
 山、川、海との出会い。人や動物との出会い。本や学問との出会いである。
この国の季節や自然を愛で命を尊ぶ心。
これらは、出会いなくしては生まれも育ちもしない。
 施政者には、考えを改めてもらいたい。
だが、まず個々の大人が目覚めねばならない。
金や便利と引き換え失った懐かしい色々。愛しく大切だった数々。
 それらを思い出せるのは大人だけ。
子どもはもはや何も知らない。
こんな時代こそ、新聞という活字文化の最前線の担い手たちの活躍を願う。
 桜の蕾がほころぶように、次々咲く児童書の開花情報を子どもたちに届けてほしい。
山、川、海の豊かさを、今こそ語り続けてほしい。
  
(童話作家)